試されてる気がする
先日、あまり経験したことのないような嫌な出来事がありました。
朝、仕事に出かけようと思って駐輪場に向かったところ、隣のアパートの敷地から出てきたおそよそこの住人ではない犬を連れた男性と出くわしました。
通り抜けできるようになっているとはいえ、犬を散歩させながら当然のように歩いていた初老の男性のことを非常識だと思い、私は睨みつけてしまいまいました。
すると相手も悪びれることなく私を睨み返してきたのです。
ひとことふたこと言い合いになりましたが、私はその場を早々と離れてそれ以上のコトには至らずに済んだのですが、かなり後味の悪い出来事になってしまったことは確かです。
私がその男性を睨みつけたのにはあるきっかけがあって、以前、犬を散歩させている人が、私の住んでいる住宅の敷地内に堂々とウンチをさせてその処理もせずに立ち去ってしたことがありました。
今回はその時の人とは違うと思うのですが、犬を連れてよその住宅の敷地内を歩いていることの非常識さに腹が立ったのでした。
私は動物も好きだし犬も猫もかわいいと思います。でもペットを飼っている人の中のほんの一部の周りを考えない行動は大っ嫌いです。
今回だって、その男性が犬を連れていなかったら気にもしなかったと思います。
ま、それでも後になって落ち着いて考えてみると、私も過剰反応しすぎでした。反省しています。
そういう小さなことに過剰に反応したり、他人の行動に腹を立てるときって、自分自身がダメになっている時のような気がします。
他人に対して上から目線になったり、指図したいと思うのはよくない状態です。
そんな状況いる時「何かに試されてるな」と思うことがありました。
自転車に乗っていた時、一人しか通れない上り坂の通路で反対側から下りようとする女性に気付きました。
いつもなら自転車を降りずにそのまま勢いをつけて坂を上れるのに、女性がいたことで自転車を止めて一旦降りました。
女性が道を譲ってくれたので私は自転車を押して上がり「すみません、ありがとうございます」とお礼を言いました。
もし腐ってた私だったら自転車を降りることなく強引に坂道を上っていたか、「なんだよ、自転車を降りちゃったじゃない!」なんて不満顔で通り過ぎていたかもしれません。
またその後にはこんなこともありました。
銀行のATMに並ぼうとしたところ、並び口にほぼ同時に反対方向からも並ぼうとした人が来ていました。
意地悪でズルい頃の私だったらスッとその人の前に並んでしまったか、あるいはわざとゆっくり歩いてなにげなーく列の後ろについただろうと思います。
でも、今回は堂々と前から来た人に「どうぞ」と言って先を譲りました。
こんなことは滅多にないのですが、立て続けに見知らぬ人との譲られる、譲るは、きっと神様か何かはわからないけれど、自分が試されているのかな、という気がしました。
譲られてぶっきらぼうで突き進むのも、お礼を言うのも物事の表面だけ見たら何も違いはないのかもしれません。
ズルして先を取るのも快く先を譲るのだって、表面的にはどうってことないのかもしれません。
でも、全く違うということが自分だけにわかるのです。
お礼を言うと自分自身とても気持ちがいいし、お礼を言うことで自分を大切にしてもらえてると思え、また相手のことも尊重できます。
われ先にと急ぐよりも、相手に譲ってあげる。
するとATMを使えるまでの一人分遅くなる時間よりも、はるかに大きな余裕が心に生まれます。
目の前で起こることや経験することをどうとらえるかは、自分自身の心の持ちよう、気持ちの持ちようなんだと思います。