暮らしの素

格安スマホを使って家計を助ける方法をお伝えします。家計簿の続け方や時間を有効に使う方法なども書いています。

2019年05月

もう、そんなに頑張らなくていい


「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす (光文社新書)

最初にタイトルを見たとき、驚きましたね。家事のしすぎがどうして日本を滅ぼすことになるのかって…。

この本は、「完璧に家事をこなそうとしている日本人、中でも日本の主婦の歴史や現状が書かれている部分」と、「『片付けることに一生懸命になっているのはどうしてか?』ということが書かれている部分」の2つから成っています。

かなり緻密なデータを基に書かれている部分も多いので、全てを理解しようとするには少々難しいのですが、自分のことに照らし合わせるとリアルに感じ取れる内容です。

まず感じたのは、本当に日本の主婦は家事に振り回されているな~と。もちろん、私も含めて。

食事の支度や後片付けから始まって、掃除、洗濯は当たり前。子どもが生まれれば育児。それもかなりのレベルを求められて、仕事を持っていれば尚更、時間のやりくりまで完璧を求められます。当然、誰もがやっていることなので、不平不満などそうそう口にはできませんし。

家事なんて、家族で分担すればいいのに。これは理想でしかないのでしょうか?

我が家を考えた場合、それが理想でしかないのがなんとなくわかります。

私の母も義母も結婚して以来ずっと専業主婦です。自営業の親族を除けばほぼ全員既婚女性は専業主婦です。

だから旦那さんが仕事から帰ってくれば、背広をハンガーに掛けながら「ご飯にする?それともお風呂?」なんて一昔のテレビドラマそのもの。

男は外で働いてくるのだから、一日中家にいる妻は夫の面倒をみて当たり前。それを見て育った私はやはり「家のことはできるだけ自分でやらなきゃ」と思ってすごしてきました。

今でこそ仕事を始めていますが、長い間、専業主婦でいたことも影響しているでしょうね。

ただ、昔、まだ結婚して仕事を続けていた時、何日間か夫より私の方が帰りが遅くなったことがありました。

その時、夫が夕飯の用意などをしてくれていたのですが、「おかえり」と言って私を迎えてくれる夫の顔がしかめっ面で怖かったのです。

その顔に「申し訳ない」という気持ちでいっぱいになってしまって。

あの頃は私もまだ若くて、夫に言いたいこともすぐには言えなかったんだと、今振り返るとそう思います。

仕事して疲れて帰ってきて、夫にあんな顔でおかえりと言われて、一応夫が作ってくれたご飯を食べて…ものすごいストレスだっただろうな、とあの頃の自分がかわいそうに思えてきてしまいました。

ほどなくして仕事を辞め、その後長男を出産して間もなく、育児の大変さに押しつぶされそうになりながら「仕事の方が断然楽だ」と率直に思いましたから。

その数ヶ月後の引っ越しのこともフツフツと思い起こされてきました。

引っ越しの準備や手続きは大変で、乳飲み子を抱えながらでは尚更でした。

だから水道局への引っ越しの手続きを忘れてしまっていたことに気づかず、当日発覚した際、夫は「なんでやってないの?」と私を責めたのです。あ、いや、本人は責めたつもりはなかったのかもしれません。ただ単に「なんで?」と思っただけなのかもしれません。

でも、私は「なにやってんだよ!」と責められた気分でした。

とても悲しい気持ちでした。

一言、「赤ちゃんの世話だってあるのに、忘れることだってあるよね。なにもかもやってもらってありがとう」という言葉があれば救われたのに。(書きながら少し涙がこぼれちゃいました)

はぁ~。なんか今日ははじめに書こうとしていたことと全く違うことを書いてしまいましたが…。

でも、そうやって私は頑張ってきたな~と思うのと同時に、もうこれからはそんなに頑張らなくたっていいのかも、って、この本を読んでそう思いました。

この本には他にもとてもいい言葉、ストンと腑に落ちる言葉が出てきますので、次回それらを紹介したいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます☆
 

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出費を抑えるだけでは節約にはならない

間違った節約方法にならないように

節約と聞くとまず手持ちのお金を減らさないこと、と考える人は多いと思います。

確かに、限られた収入のなかでやりくりして家計を赤字にしないように、あるいは貯金を増やすには、財布のヒモをできるだけ絞ることは大切です。

でも私の経験からすると、節約で本当に重要なことは最終的にお金を流れをよくすることに他ならないと思います。

出費を抑えることだけを考えて、楽しむことにお金を使わないのは、お金の流れを悪くさせます。

だから節約だと思ってやってしまう次のようなことは、効果がないばかりか、節約とは正反対の結果を生み出すことになってしまいます。

・様々な我慢をしてストレスを溜める
・パッとしない服を着る
・古びたものを持つ
・値段だけで判断して買い物する

これらのことがどうして節約の効果を生み出さないのか、一つずつ考えていきましょう。


我慢をしてストレスを溜める

実はこれが予想以上に節約の足かせになります。

いつもなんとなく節約して本当に欲しいものや必要なものにお金を使わないでいると、「いつも節約してるんだからいいや!」と要らぬところで不必要な出費をする羽目になります。

必要なものが買えない、好きな物が「買えない・買っちゃダメ」というストレスは、「これくらいいいや!」という免罪符となって無駄なものを買ったり、必要以上に飲食するという形でのストレス発散となるのです。

何でもかんでも我慢してお金を出し渋るのではなく、必要なものやどうしても欲しいものがあれば、その分を貯金して資金を作り、気持ちよくお金を使いましょう。


パッとしない服を着る

「高かったから」と言って既に似合わなくなった服を着続けたり、「自分の服にお金を使うのはもったいない」と、ヨレヨレ感の目立つ服をいつまでも着ていると、まさに貧乏神が取りつきます。

装いはその人を如実に表します。

自分の服にお金を使うのはもったいないことではなく、家族のためにも大事なことです。そう、新鮮な野菜を家族のために買うのと同じ気持ちで、自分の気持ちがアップする洋服を買いましょう。

そうやって自分が生き生きして気分よく過ごすことで、家族の気持ちもよくなり、それぞれが自分の持ち場で力を発揮してくれることに繋がるのです。


古びたモノを持つ

趣味としてのアンティークなどは別として、擦り切れたバッグやくたびれた財布など、「買い替えるのがもったいないから」という理由で古い物を使い続けるのは節約にはなりません。

引き寄せなどを盲信するのはどうかとは思いますが、人やモノから発せられるエネルギーはれっきとしてあるものなので、これらを低下させているとお金も寄ってこなくなります。

特にバッグや財布は頻繁に使うものなので、安価なものではなく、ある程度の値段で丈夫で長持ちするものを持つことが、長い目で見て出費を抑えることになります。


値段だけで判断して買い物をする

天候に影響されることなく、常に安い値段で人気の豆苗が先週もテレビで紹介されていました。

もやしと並んで豆苗は家計の救世主なのでしょうが、私はそれほど頻繁にもやしや豆苗を買いません。

同じ売り場で新鮮なキャベツが200円~300円くらいで売っていればそちらを買います。

それは、キャベツの方が様々な料理に使えるし、単位的に比べてもボリュームがあって満腹感が違うからです。

1パック100円の豆苗と300円のキャベツ。値段だけ見たら豆苗の方が安いけれど、だからといって単純にキャベツが高いとは言い切れませんよね。

それを買う目的がどこにあるのか?を明確にしないで、値段ばかり見てそれを判断材料にしていると、本当の価値で買い物していることになりません。

安いのか?高いのか?というのはその値段ではなく、それを買って使う自分の価値観によって決まるのです。

例えば電車の乗り継ぎなどもそうです。目的地までの経路を駅探などで調べると、何通りかの行き方が出てきます。

以前私は、10円でもいいから安い経路を見つけてそれを選択していました。

でも今は違います。乗り換えが楽で時間のかからない経路を優先するようになりました。

値段だけでない別のところに価値を感じるようになったからです。

そうすることで、例え運賃が少しかかったとしても、楽に気持ちよく移動できることで、得したと思えるようになりました。

楽しくて気分の上がる節約を目指そう

節約というのは「お金を手放さない」と留めておくことに力を注ぐことではなく、不必要な出費を見つけてそれを減らし、自分が本当に必要で大切にしているものを見極めて、そこにお金をかけられるようにするということなのです。

あれもダメ、これもダメ、と歯を食いしばってやることではなく、節約したおかげで、こんなにいいものが買えたよ~と気分を上げていけるのが本当の節約だと、私は思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます☆
 

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流行と自分の体形に素直になること

断捨離したもの

冬物の厚手の服やウールのものを少しずつ洗濯し、それら衣装ケースにしまいつつ、そこから夏物を出すという作業をしつつある今日この頃です。

この衣替えの作業も一遍にやってしまえば効率的なのですが、一気にやり切る気力と体力がないのです。

更に、冬物は一度に洗濯も終わらないので、どうしても日数がかかってしまいます。

だから毎年、こうやって日数をかけてやって、その間にも服をじっくりと見て、要る・要らない、着る・着ないを考えながら季節の服を入れ替えています。

そこで今日は3本のパンツ(ズボン)を処分することにしました。

3本とも昨年まで気に入って着ていたものです。(あ、1本は昨年あまり履かなかったかな…)

1本は白のジーンズですごく気に入って毎年夏場に履いていたのですが、2年ほど前から腰回りと太ももの辺りがキツくなってしまいました。

それに数年前まで流行だったローライズなので今履くとホントに変!

しかも40代ならまだOKだった腰回りのピチピチ感が…ピチピチどころかパツパツ?パッツンパツン?とても人前では履けないような姿になってしまいました。

40代の頃から体重はほとんど変わっていないのに、悲しいかな体型が変わったのでしょうね…

まだ履けるからと言って、こういった流行遅れで体型や年齢に合わない服を着るのはとても危険な行為だと、気づけてよかったです。

残りの2本のパンツも、昨年も頻繁に履いていたのですが、洗濯のせいか色も薄れくたびれた感じで、とても「履いて気分が上がる!」というものではなくなったので処分することにしました。

洋服に関して、普段からそれほど流行を追っているわけではありませんが、流行の形や色合いというのは気づかないうちに取り入れて、結果、それがそれなりにカッコよく見えているものなんです。

だから、気に入っているからと言って、何も考えずに着ているとイタイおばさんになってしまうので、そうならないよう、ある程度は新しい服を取り入れてそれなりにカッコよくいたいと思ってます。

最後まで読んでいただきありがとうございます☆
 

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久しぶりに会った友人に好感度を下げる行為

不満や愚痴はほどほどに

先日街角で、息子が高校生時代のママ友にばったりと出会いました。

息子が大学に入った年の夏ごろの飲み会で会って以来、5年ぶりくらいでしょうか…。

お互い息子の名前は出てくるものの、苗字を忘れて自己紹介のような形になってしまって、大笑いでの再会となりました。

息子が今どうしてる、という話から兄弟の話などになって嬉しく楽しく数分すごしたのですが、そこから相手の怒涛のおしゃべりが始まってしまいました。

楽しい話ならいいのですが、ほとんどが愚痴です。息子の生活に関する不満や自分の仕事の大変なことや不満等々。

「あーそうなんだー」って作り笑いで返す以外に私にできることは何もありませんでした。

元々、こんな感じの人ではあったんです。だから息子たちの高校卒業と共に会うこともなくなったんですよね。

帰宅してなんだかどっと疲れました。

私は彼女の愚痴のはけ口になったのかな?なんて思うと、さっさと話しを切り上げる技を持っていない自分が情けなかったり、貴重な時間を奪われたことに腹が立ったりもしました。

他人の話に耳を傾けることが大事なんていうけれど、カウンセラーでもないのにいつもいつもそんなことできません。

しかもばったり出会った友人?知人?の話を広い心を持って聞いてあげるなんて、私には無理です。

もし誰かに偶然出会って、懐かしく思えてお喋りしたいと思っても、自分のことを喋り過ぎず、時間を潰さない程度にとどめておくように私は心がけています。

自分の喋りたいことだけを喋ったり、愚痴や不満を久しぶりに出会った人に投げつけるなんて、自分の好感度を下げるだけですから。


最後まで読んでいただきありがとうございます☆
 

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