ミヒャエル・エンデの『モモ』を読んで
久しぶりに、というか大人になって初めて児童書を真剣に読みました。
ミヒャエル・エンデというドイツ人作家が書いた『モモ』という物語です。
名作と言われているのに今まで一度も読んだことがありませんでした。
私は普段本はよく読みますが、フィクション(物語)は少な目で、家事や健康や経済の実用書とか、いわゆる引き寄せとか自己啓発に関するものばかり読んでいます。
でも、そういったジャンルの本ばかり読んでいると、身になるどころか最近なんだか疲れてきて、心で感じずに頭でっかちになってしまうような感じがしてきたのです。
そこで、ちょっと落ち着いて心から楽しめるような本ということで、以前から読みたいと思っていた『モモ』を選んでみました。
モモ (岩波少年文庫(127))ミヒャエル・エンデ
この本はモモという小さな女の子を主人公としたファンタジー(空想小説)で、いくつかの小さいお話とメインの大きな話から成っています。
この本で私は2つのことを教えてもらいました。
1つ目は「人の話を聞くことの大切さ」です。
主人公のモモは親もいない住む家もない浮浪児ですが、寝泊りしている劇場跡には沢山の人がモモに会いに集まってきます。
それはモモに話を聴いてもらうためなのです。
モモは黙って相手の話を聴きます。
何かの解決策を探している人も、モモに話を聴いてもらうと自分の中に元々あった解決策に気付くというのです。
現実の世界でも「話を聴いてもらう」ってとても大事なことですよね。
聴いてもらうだけで話す方がスッキリするということは多々あります。
だから話を聴いてくれる人の回りには沢山の人が集まってきます。
でも実際、自分の話を喋りたい人が多くて、人の話をじっくり聴いてくれる人って貴重な存在だと思います。
人の話を聴くどころか、話題を全て奪い取ってしまう人もいますよね。私はそういう人は本当に苦手です。
ですので、このモモを読んで心に誓いました。
「人の話は最後までじっくり真剣に聴いてあげよう」と。
2つ目は教えてもらった、というより考えさせられたという方が的確なのですが、この本のメインの話である「時間どろぼう」のことです。
物語では「時間どろぼう」という集団が人々から時間をかき集めるのですが、その様子がまさに現代社会そのものでびっくりです。
物語の中で、人々は時間を大切にするために余った時間を貯蓄しようと励むようになります。
仕事や家事や様々なことを効率よくこなすようにして、仕事の意味や仕事を楽しむことを忘れてしまいます。
子どもたちが自由に遊んだり空想を膨らませたりすることは無意味だと決めつけられて、将来役に立つことだけを頭に詰め込まれるようになってしまいます。
街の人々はみんな余裕がなくなって、笑顔がなくなりイライラした顔つきに変っていきます。
効率化しようとしているのに、どういうわけか人手不足になり、一人がこなさなければならない仕事量が増えて、無理をして働かなければならないようになってしまいます。
私は、この物語がまるで日本の今の社会を描いているかのようで、驚くしかありませんでした。
この物語が書かれたのは40年以上も前なのに…
作者は社会の本質を見通していたのでしょうか?
コンピュータが出来て、インターネットやスマホが日常生活に入り込み、今やAIとかでどんどん人間は楽に暮らせるようになってきているのに、方や人手不足、長時間労働、高齢化、待機児童など、深刻な問題は吹き出し続けていて、もしかしたら解決策がズレているか、技術をきちんと活かしきれていないのでは?などと思ってしまいます。
便利な技術や道具ばかりがあっても、それだけで良い社会とは言い切れません。
本当の暮らしやすく良い社会というのは、一人一人の心に余裕がある社会ってことなのかな?と考えさせてもらったのが、この本から教わった2つ目です。
たまに児童文学に触れてみるののいいものです。
モモ (岩波少年文庫(127))ミヒャエル・エンデ
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