暮らしの素

格安スマホを使って家計を助ける方法をお伝えします。家計簿の続け方や時間を有効に使う方法なども書いています。

感情と欲・心理と行動

宝くじで1億円当たった人の末路

宝くじで1億円当たった人の末路

パチンコや競馬などに比べても期待値がかなり低いということで、宝くじなんてものには一切手を出しません。

でも気になりますね、本当に1億円とか当選した人。その後どんな人生を歩むのでしょう?って。

宝くじで1億円当たった人の末路

こちらの本には「宝くじで1億円当たった人の末路」をはじめに、「キラキラネームの人の末路」や「『疲れた。海辺の町でのんびり暮らしたい』と思った人の末路」、「電車で『中ほど』まで進まない人の末路」など、興味を引くような項目で人間の心理と行動の関係や、社会人として知れば得する考え方などについて読みやすく書かれています。

トップ項目の「宝くじ1億円」ですが、なんと1億円も当たった人の多くは不幸になるというから意外です。

高額当選金から支払われる際、銀行から「【その日】から読む本」という冊子が渡され、「興奮と付き合い、落ち着いたらローンの返済などを優先するように」などということが書かれているそうです。

そのような冊子が渡されるくらいなのだから、高額当選は相当心をしっかり持って当たらなければならない事なのでしょう。

ただ、人間というのは感情を持った生き物であるが故に、当選したことをペラペラと他人にしゃべったり、安易に仕事を辞めてしまったり、あるいは当選金を資金に起業するなどして人生を狂わすこととなってしまうようです。

家族の間ですらトラブルが発生するそうで、万が一高額当選したら、税理士や弁護士にまずは相談するのがよいということです。

夢を買ってるつもりかもしれないけれど、確率がかなり低いのでお金と時間のムダ。例え当たったとしてもトラブル、かえって貧困、やる気の喪失となってしまう。どっちに転んでも得することはない、というのがこの本で語られている結論です。

そして「自分は大丈夫」と思っている人が、一番危ないそうですよ。

お金って本当に不思議で、自分の持っている器からあふれるほどのお金は持てないようにできているのかもしれない、と思う時があります。

でも、1億円とはいかないかでも100万円くらいは何かの拍子に手に入れられればいいな~なんて思いますが。

あ、でもそれが現実になると、今度は200万、その次は500万、1千万…なんて期待ばかり膨らんでイタイ目に遭ったりするのかもしれません。

ほどほど、っていうのが一番いいのでしょうね。


電車で『中ほど』まで進まない人の末路

混んでいる電車のドア付近から移動しようとせずにいる人は、「気を利かせる回路を持っていない」という理由があるのだといいます。

そして自分の回りのことに「気を利かせる回路」を作り上げるのは、5歳までの幼少期なんだとか。

これ、なんとなくわかります。赤ちゃんから5歳くらいまでの子どもは、回りのあらゆることをどんどん吸収して知識として溜め込んでいきます。

例えば電車に乗った時、回りのことをよく観察している親の様子を子どもは吸収するのです。

「混んできたからこちらに移動しよう」とか「お年寄りが乗ってきたから席を代わってあげようかどうしようか?」って考えていることすら、子どもには伝わります。

するとそういう親の表情や行動を見て、子どもはマネします。

子どもと一緒にいてもスマホの画面にくぎ付けでは、きっと高い確率でその子どもはスマホの画面にくぎ付けな大人になるでしょう。

それがいいのか悪いのかは別として。

最後まで読んでいただきありがとうございます☆
 

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家事は快適に暮らすためのものだから

前回に引き続き、「「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす (光文社新書)」という本を読んで感じたことを書いてみたいと思います。

この本で筆者は、海外の国々での男女の家事の時間の比較や、女性の有職率などのデータを紹介していますが、まぁ、どういうわけか日本は家事を女任せにしているかなり特殊な国のようです。

歴史的な要因が大きく関わっているのか、日本人独特のDNAによるものなのか断定はされていませんが。

ただ、女性が完璧に家事をしようとすればするほど、男性の家事参加の壁を厚くしていることは間違いなさそうです。

「だらしない」「いい加減」はダメ。「きちんとした」が求められる

とにかく日本では家事に対して「きちんと」が求められ、「だらしない」とか「いい加減」が落第点となる現状があるといいます。

女性は、特に結婚したら家事を完璧にこなさなければならない。

完璧を求めるが故に、夫のやり方に不満を持ち、口出ししたりもう一度やり直したりして、結局「自分がやった方が早い!」なんてことで夫の家事参加を拒んでいるのです。

専業主婦の負い目・夫の甘え

また、結婚して共働きをしているうちは、家事分担がうまくされていたとしても、子どもが生まれ、女性が一旦でも家事の全てを担う時期があると、それ以降、その気楽さに夫が甘えてしまうということもあるようです。

我が家もどちらかと言うとこのパターンです。

結婚当初、私もフルタイムで仕事を続けていた時は、ほぼ半々に家事をしていたように思いますが、専業主婦になったとたん、全てを担うような感じになってしまいました。

一旦、家事全般を引き受けてしまうと、それを変えていくのはなかなか大変なことです。

仕事をしているしていないに関わらず、家事をするのが当たり前、という意識が根付いていないのでしょう。

妻、母が責任を感じすぎる

本書によると、日本の主婦は自分の作った料理にも責任感が大きいと書かれています。

海外では、作った人はそれほど味にまで責任を持たないそうです。それなりに作って、でもマズイと言われたら「味を感じるあなたの責任」というスタンスで、「どうぞ塩でも醤油でも足して好みの味にして食べて!」言う具合だそうです。

「作ってもらえるだけ幸せだと思いなさい。」ということです。

これは目からウロコでした。

ということは、夫が私の作った料理にソースなどをかけて食べることにイライラしてはいけないということですね。心得たいと思います。

責任を感じすぎるのは、料理だけでなく、子育てもそうなのです。

「食が細いのは私のせい?」とか「お友達とうまく遊べないのは母親のせい?」「勉強しないのも母親のせい?」…なーんて、特に子どもが小さい頃はありとあらゆることが母親のせいと考えられてしまいがちです。

でも、なんで母親だけの責任なんですかね?関係ないですよ。あまり責任感を持ちすぎないように。

お金が第一になっている

本来、無料の家事や育児にお金を払うことへの心理的ハードルは高い

主婦は家事や育児だけでなく、日々の家計のやりくりまでうまくこなさなければならないとされています。

だから、苦手なことを家事代行サービスなどに頼ろうとも、やはり「節約」「やりくり」の面から、はばかられることが多いのです。

よく海外の映画などで、ティーンエイジャーに少額のお小遣いで、ベビーシッターや庭の草刈りなどを頼むシーンを見たことがありますが、そういった気軽に家事を頼める仕組みやサービスを、日本でもどんどん進めて行くことが必要なのではないかと感じます。

SNSで家事のハードルが上がっている

SNSという新たな世間が、家事の苦手な人のハードルをあげていくのがよくわかる。

一昔前なら、テレビで芸能人のお宅などを見て、「素敵~。でも別世界のことだから。」と納得できていました。

ですが、今はSNSの影響で、ごく身近な、自分とさほど変わらない人が、きれいに整えられた部屋で暮らし、家族と一緒に楽しく団らんし、しかも仕事までこなしている…なんて姿を実際(?に見える)写真でこれでもかこれでもかと見せつけられてしまいます。

「自分は自分」と割り切れればいいのですが、なかなか人間これができません。

羨ましい。私にだってできるはず。いや、できなきゃダメ!と、自分を追い込んでしまうのは無理もありません。

でも、やはりSNSはSNS。割り切って考えるのが身のためです。

どんな暮らしであろうと「自分の暮らし」

昨今、断捨離、ミニマリスト、ていねいな暮らし、小さい暮らし等々…こうでなきゃ、ああでなきゃ、となんと忙しくて窮屈なこと。

家事に追われて苦しいなんて、本末転倒ですよね。

頻繁に来客があるわけでもないなら、多少部屋が散らかっていても構わないし、適度に掃除して快適に暮らせていればそれでよし、っていう大らかな気持ちでいることが一番幸せなんじゃないかな?とこの本を読んで思ったことです。

みなさんもよかったら読んでみてくださいね。

最後まで読んでいただきありがとうございます☆
 

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もう、そんなに頑張らなくていい


「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす (光文社新書)

最初にタイトルを見たとき、驚きましたね。家事のしすぎがどうして日本を滅ぼすことになるのかって…。

この本は、「完璧に家事をこなそうとしている日本人、中でも日本の主婦の歴史や現状が書かれている部分」と、「『片付けることに一生懸命になっているのはどうしてか?』ということが書かれている部分」の2つから成っています。

かなり緻密なデータを基に書かれている部分も多いので、全てを理解しようとするには少々難しいのですが、自分のことに照らし合わせるとリアルに感じ取れる内容です。

まず感じたのは、本当に日本の主婦は家事に振り回されているな~と。もちろん、私も含めて。

食事の支度や後片付けから始まって、掃除、洗濯は当たり前。子どもが生まれれば育児。それもかなりのレベルを求められて、仕事を持っていれば尚更、時間のやりくりまで完璧を求められます。当然、誰もがやっていることなので、不平不満などそうそう口にはできませんし。

家事なんて、家族で分担すればいいのに。これは理想でしかないのでしょうか?

我が家を考えた場合、それが理想でしかないのがなんとなくわかります。

私の母も義母も結婚して以来ずっと専業主婦です。自営業の親族を除けばほぼ全員既婚女性は専業主婦です。

だから旦那さんが仕事から帰ってくれば、背広をハンガーに掛けながら「ご飯にする?それともお風呂?」なんて一昔のテレビドラマそのもの。

男は外で働いてくるのだから、一日中家にいる妻は夫の面倒をみて当たり前。それを見て育った私はやはり「家のことはできるだけ自分でやらなきゃ」と思ってすごしてきました。

今でこそ仕事を始めていますが、長い間、専業主婦でいたことも影響しているでしょうね。

ただ、昔、まだ結婚して仕事を続けていた時、何日間か夫より私の方が帰りが遅くなったことがありました。

その時、夫が夕飯の用意などをしてくれていたのですが、「おかえり」と言って私を迎えてくれる夫の顔がしかめっ面で怖かったのです。

その顔に「申し訳ない」という気持ちでいっぱいになってしまって。

あの頃は私もまだ若くて、夫に言いたいこともすぐには言えなかったんだと、今振り返るとそう思います。

仕事して疲れて帰ってきて、夫にあんな顔でおかえりと言われて、一応夫が作ってくれたご飯を食べて…ものすごいストレスだっただろうな、とあの頃の自分がかわいそうに思えてきてしまいました。

ほどなくして仕事を辞め、その後長男を出産して間もなく、育児の大変さに押しつぶされそうになりながら「仕事の方が断然楽だ」と率直に思いましたから。

その数ヶ月後の引っ越しのこともフツフツと思い起こされてきました。

引っ越しの準備や手続きは大変で、乳飲み子を抱えながらでは尚更でした。

だから水道局への引っ越しの手続きを忘れてしまっていたことに気づかず、当日発覚した際、夫は「なんでやってないの?」と私を責めたのです。あ、いや、本人は責めたつもりはなかったのかもしれません。ただ単に「なんで?」と思っただけなのかもしれません。

でも、私は「なにやってんだよ!」と責められた気分でした。

とても悲しい気持ちでした。

一言、「赤ちゃんの世話だってあるのに、忘れることだってあるよね。なにもかもやってもらってありがとう」という言葉があれば救われたのに。(書きながら少し涙がこぼれちゃいました)

はぁ~。なんか今日ははじめに書こうとしていたことと全く違うことを書いてしまいましたが…。

でも、そうやって私は頑張ってきたな~と思うのと同時に、もうこれからはそんなに頑張らなくたっていいのかも、って、この本を読んでそう思いました。

この本には他にもとてもいい言葉、ストンと腑に落ちる言葉が出てきますので、次回それらを紹介したいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます☆
 

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効率優先だけでは心が満たされない

フランクリンプランナー

不安を隠すためにスケジュール帳を鎧にしていた頃

もう何年も前になりますが、「フランクリンプランナー」という分厚いスケジュール帳を使っていたことがあります。ネットワークビジネス、俗に言うマルチ商法にハマっていた時ですが。

ネットワークビジネスをやる以前にも、厚めの細かいスケジュール帳を使っていたことがあります。

1日をam6時からpm11時くらいまで刻んだ縦軸に、時間毎のスケジュールを組んで充実した日々を送っている気分に浸っていました。

でも、フツーの主婦に毎日毎日違った予定が入るわけでもなく、はっきり言ってそんなに細かなスケジュール帳、私には必要ありませんでした。

ならば、ということで、【To Doリスト】なんてものにも興味があってトライしようと思いましたが、結局【To Doリスト】に追われているような感覚が嫌で、今はもっぱら仕事や出かけたり人と会う用事、期限のある用事だけを忘れないようにする月間のスケジュール帳(マンスリー手帳)と、電話台い置いたメモ「スケジュール」「やること」の管理は十分できるようになりました。

結局ものすごく遠回りしたような恰好ですが、あの頃のことを思えてみると、きっと自分に自信がなかったのだと思います。

スケジュール帳やToDoリストを鎧にしていたというか、そういった付属品がないと自分自身が軽い存在になってしまうのではないかと、不安だったのだと思います。


山ほどのことをこなすことが心を満たすわけではない

手帳やToDoリストで1分1秒をムダにしないよう、あれこれこなしていく生き方が充実した生き方だと勘違いしていましたが、実際はそうではなかったのです。

1日のうちでボーっとする時間や、予定外に気分で行動したことがあってこそ、充実した自分らしい過ごし方なんじゃないかな?と、最近そう思うようになってきました。

確かに、その日にやらなければならないことはあります。特に面倒なことや期限が決まっているものは、余裕のあるうちにスケジュールを組んで、なるべく先延ばしにしないように「To Do リスト」としています。

ただ、それ以外は臨機応変にこなしていくことが、自分らしく充実した時間を送るカギとなります。

朝起きて、よく晴れて気分が良かったら布団を干したり洗濯も頑張るけれど、曇っていたらゆっくりコーヒーでも飲みながら読書する、とか。

予定していたことができない!なんて焦ったり罪悪感を持ったりすることもなくって、それが自分なりの生き方なんだな、と認識しています。


To Do リストやスケジュール帳に振り回されているあなたにおすすめの本

今回読んだこちらの本にもそういった「肩ひじ張らない時間の使い方」が書いてあって、読んですごく共感が持てました。

ニューヨークの美しい人をつくる「時間の使い方」

それと同時に、自分の考えていたことが認められたような気持ちです。

それは、時間管理やスケジュール帳の使いこなし、効率的な時間の使い方等々、今まで様々なことにトライしてきたけれど、結局どれも「強制的に何かに管理されないと充実した人生が送れない」ということが前提になっていたから。

時間は自分のもの(誰かのために使ったとしても)だし、物理的に管理するだけでは心が満たされることはないのでは?と疑問を感じていたのです。

時間の使い方が上手な人は、「予定を完璧にこなすこと」よりも、「大切なことをこなしていくこと」を大事にしています。

予定通りにならないことが起こったとしても、そこで何を捨てて何を取るか、という取捨選択と、その後、どう折り合いをつけていくかという段取り力が、1分1秒をムダにしないと考えることよりも大事なんだと気づかせてくれます。

最後まで読んでいただきありがとうございます☆
 

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「子育てしやすい街・老後に住みやすい街」は本当なのか?

マイホームは永遠の憧れ

私たち家族は、結婚して以来ずっと賃貸の家で暮らしてきました。

何度か引っ越しも経験しましたが、その都度、家族のその時の生活スタイルに合った比較的快適な「お家」を選んで住むことができていると思っています。

でもやはり私自身はマイホームにはずっと憧れていました。

かつて、子どもたちが小学校へ上がる頃、近所の同世代の家族が皆マンションや戸建てを買って次々と引っ越して行った時は、焦りや羨ましい気持ちがかなり強かったのを覚えています。

今住んでいるところも賃貸の物件ですが、新築の際に入居したので気持ちよく、それなりに快適に暮らすことができています。

でもつい最近まで、近所に新しい戸建住宅が建つたびに、「こんなにきれいで広い家に住めたらいいな~」とか「なん千万もするけど、これほどの家を買える人はきっとお金持ちなんだろうな~」なんてずっと憧れ、羨ましく思いながら通りすがりに眺めていたものです。

ところが、最近空き家問題とか、実家の処分に関する話題を耳にして、家を持つことの大変さを改めて考え、「やっぱり家を買わなくてよかった~」と思ったのです。

実は私のこの「家持ちたい・持つのは大変」の気持ちの揺らぎは、今始まったわけではなく、以前にも似たような思いで記事を書いています。
持てなくて(!?)よかったマイホーム

住むところや家の問題は、持ち家だろうが借家だろうが一生ついてまわる問題なんですよね。常に頭のどこかに巣食っているのです。

ということで、先日こちらの2冊の本を読んでみました。

こんな街に「家」を買ってはいけない (角川新書)

住みたいまちランキングの罠 (光文社新書)

これらの本を読むと、「街のイメージがいい」「子育てしやすそう」「老後、病院通いするのが楽そう」といったある側面だけから判断して、安易に家を買うことの怖さがよくわかります。

「住みたいまちランキング」というもの、実は不動産業者や自治体などの利権や思惑が絡まったもので、日本全国の信頼できるデーターとはかなり違っているのです。

人生80年とも100年ともいわれる時代。その間、人々の価値観も変われば、生活スタイルも想像できないほど変わります。

交通網やインフラもどんどん変わっていく中で、「家を買ってずっとそこに住む」とか「住まなくなったら売ればいい」といった考えが通用しない時代がすぐそこまできているような気がします。

これから家を買おうと思っている人にも、既に買っている人にも、参考になる内容だと思います。

また、私のようにマイホームに憧れている人間には、憧れは憧れとして留めておけばいい、と納得させられる内容です。

最後まで読んでいただきありがとうございます☆他にも楽しいブログあります▽▽
 

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